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名古屋地方裁判所 平成2年(わ)1525号 判決

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中六〇〇日を右刑に算入する。

押収の代理権授与通知書一枚(平成四年押第一七号の六)の偽造部分及び照会書回答書受領書一枚(同号の四)中の回答書の偽造部分をいずれも没収する。

理由

(犯罪事実)

被告人は

第一  戸籍上の姉乙川光子(当時五二歳)と同居し所有する土地建物の売却を希望していたが、同女が右売却に強く反対していたため、その存在が邪魔になり、昭和六四年一月五日夜から翌六日午前八時一九分過ぎころにかけ、名古屋市昭和区川名町○丁目××番地に所在する建物二階の乙川光子及び被告人方において、殺意をもって、右乙川光子の頸部を絞め、よって、そのころ、同所において、同女を窒息死させて殺害し

第二  右殺害後の前同日ころ、同所浴室内において、前記第一で殺害した乙川光子の死体の頸部及び腹部を鋭利な刃物及び鋸を用いて切断して損壊し、更に、その後のそのころ、切断した右死体の下半身を同市港区潮見町先名古屋港海中又はこれに接続する水中に投棄し、切断した右死体の頭部を愛知県瀬戸市川平町一番地正伝山山中国有林内に投棄し、もって、それぞれ死体を遺棄し

第三  同月七日、名古屋市昭和区阿由知通三丁目一五番地名古屋市昭和区役所において、行使の目的をもってほしいままに、「上記の者に代理人として所定の申請権限を委任しましたので、ご通知いたします。」などと印刷されている代理権授与通知書用紙の代理人欄及び区分欄に「昭和区川名町○の××、甲野一郎」などと書き込み、「印鑑登録申請」の文字を囲んで委任事項を表示した上、委任者欄にボールペンで「昭和区川名町○の××、乙川光子、S11 6 28」と冒書し、その名下に「乙川」と刻した丸印を冒捺して、乙川光子が被告人に印鑑登録申請権限を委任した旨の同女作成名義の代理権授与通知書一通(平成四年押第一七号の六)を偽造し、同日、同所において、同区役所係員松本知之に対し、同通知書が真正に成立したもののように装い、これを提出して行使し

第四  平成元年一月一〇日、前記名古屋市昭和区役所において、行使の目的をもってほしいままに、「ご照会の印鑑登録申請については、私の行為に相違ありません。」などと印刷されている回答書の氏名欄及び生年月日欄にボールペンで「乙川光子、11 6 28」と冒書し、「登録申請をした印鑑」欄に「乙川」と刻した前記丸印を冒捺して、乙川光子が印鑑登録申請をしたものである旨を証明する同女成名義の回答書一通(同号の四照会書回答受領書中の回答書部分)を偽造し、同日、同所において、前記松本に対し、同回答書が真正に成立したもののように装い、これを提出して行使し

たものである。

(証拠)〈省略〉

(補足説明)

第一  光子殺害の事実

一  光子行方不明の事実

1 乙川光子(昭和一一年六月二八日生まれ、以下、光子という。)は、昭和四四年ころから、名古屋市千種区上野町の合資会社正栄工業(以下、正栄工業という。)に勤務していたものであるが、昭和六四年一月五日、同社の新年顔合わせ会に出席したのち、午後一時一〇分ころ退社し、同日午後三時ころ、近所の市野きよ子に目撃されたのを最後に消息を絶った。

2 光子の勤務先である正栄工業の代表者の妻である田中いさ子(以下、いさ子という。)は、同月六日朝、被告人から、光子は和歌山の親戚の人の看病に行くため、暫く休む旨の電話連絡を受けた。いさ子は、被告人の電話連絡の内容に不審を抱き、被告人から聞いた光子の電話連絡先へ電話し、その連絡先が虚偽であることを知ったが、その後も連絡がつかないまま欠勤状態が続いたことなどから、その安否を気づかい、同月一〇日午後八時ころ、光子の居住する名古屋市昭和区川名町○丁目××番地所在の建物(以下、本件建物という。)を夫とともに訪ねたが、同建物玄関は施錠され、人の気配がなかったことから、結局、同月一八日に至って、昭和署に光子の捜索願いを提出した。

3 被告人は、光子の消息について、昭和六四年一月五日午後八時ころ外出したまま帰ってこない、同夜就寝に際し玄関の鍵を閉めたと述べる。しかし、次のような事情を考えると、光子が自らの意思で家出をしたとは考えにくいので、被告人の右供述は措信しがたい。

(一) 光子は、昭和六三年一二月ころから、会社の同僚である小川照美に、同人の母親のズボンを製作することを約束しており、同六四年一月五日に、その見本のズボンを翌日持参してもらうことを約束していた。

(二) 光子は、これまで、無断で欠勤したり、遅刻したりするようなこともなく、その性格は、真面目で几帳面、かつ、冗談が通じないような正直さをもっており、その生活範囲は比較的狭く、交際範囲も少数の親戚と会社の同僚程度であり、特に異性との交際を窺わせるような事情もなく、自らの意思で一人で、しかも無断で外泊するような行動に出ることは、予想しえない。

(三) 後記第一回検証の際に、光子使用の居室の箪笥引き出し内の洋服の下に、隠されるように二つの給料袋に入れられるなどした現金合計一八万六〇〇〇円が発見されている。仮に光子が何らかの事情で家出を図ったものであれば、こうした現金は持ち出していて然るべきである。

(四) 光子方の玄関の鍵は、服部一夫の証言によれば、三本しかなかったと認められるが、その三本が被告人及び光子方から押収されているので、光子が外出したとすれば鍵を持たずに出たことになる。それなのに、被告人は就寝に際し玄関の鍵を掛けたことになる。又、右三本の鍵の損傷状況と被告人から押収した二本の鍵の所持状況からすると、光子使用の鍵は押収時において被告人が携帯していたものである。

(五) 光子が消息を絶ったころ、同女と思われる人物が事故に遭って死亡したり入院した状況は窺われない上、行方不明になってからすでに五年余を経過しており、その間光子から全く連絡がないばかりか、光子の生存の手掛かりになるような事情は、全く窺い知れない。

二  死体の発見

1 平成元年二月五日、名古屋市港区潮見町三七番地の三豊通オイルセンター株式会社西方名古屋港BB棧橋先海中で、女性の下半身死体が発見された(以下、本件下半身という。)

2 又、平成二年五月二五日、愛知県瀬戸市川平町一番地国有林内で、人の頭蓋骨が発見され、同所付近で、下顎骨、頚骨、歯牙、毛髪、並びに、歯牙及び毛髪が存中していた黒色ビニール袋が発見された(以下、右頭蓋骨、下顎骨、頚骨、歯牙及び毛髪を、本件頭蓋骨等という。)。

三  死体と光子との同一性

前記二で発見された各死体は、光子失踪事件との関連性を疑われ、捜査官により、詳細な鑑定等が実施された。その結果、以下の各事実が認められる。

1 本件下半身の特徴

(一) 下半身は、黒色ビニール袋二枚で梱包されていたが、死後に切断されたもので、腹部ほぼ中央部分で、左側腹部から約半周を鋭利な刃物で切断し、背面から鋸で体幹を切断したもので、全長八七センチメートル、重さ17.4キログラムである。

(二) 血液型は、ABO式でB型、パプトグロビン型が2―1型、PGM1型が(1―1+)型、PPGD型がA型、EsD型が1―1型である。

(三) 膣口が小さく、外子宮口が円形状であることから、出産経験がないと判断される。また、左右外果に座わりだこ様の皮膚の肥厚があり、右下腿が左下腿に比べて細く、筋肉の廃用萎縮がある。尻の割れ目に痣がある。膀胱内は空虚である。左右下肢に見られる六か所の皮下出血は、鈍体の打撲によるもので、生前に受傷したものである。

(四) 推定年齢が四五から五五歳前後の女性で、閉経(卵巣萎縮)している。

(五) 推定身長は、一四七から一五〇センチメートルである。

(六) 死後平成元年二月六日実施の解剖着手時まで、約三ないし五週間経過していると推定される。

2 本件頭蓋骨等の特徴

(一) 女性で、年齢五〇年代の可能性が最も高いが、二〇から四〇代の可能性もある。

(二) 血液型はABO式でB型である。

(三) 死後の推定経過時間は、六か月ないし一年六か月である(平成二年五月二八日実施の鑑定による。)。

(四) 頭蓋骨及びその周辺で発見された下顎骨一本、頸骨二本、歯牙一一本、毛髪は、同一人に由来するものと推定される。

3 光子の身体的特徴

(一) 昭和六三年七月八日に実施された健康診断のカルテによれば、光子の身長は146.7センチメートル、体重は三六キログラムであった。

(二) 光子には、出産経験はなく、行方不明当時既に閉経していたことが推認される。尻の割れ目に痣がある。右足に座りだこがある。片足を引きずるようにして、やや傾いた、特徴のある歩行態様であった。引きずる足については、いさ子は、当公判廷で、やや混乱しながら、左足であると供述している。

その血液型は、光子が日常使用していた、本件建物南側七畳間の鏡台にあったブラシから採取した頭髪の血液型から、B型と判定される。

4 本件下半身と光子との同一性

推定身長、閉経していること、出産経験がないこと、本件下半身の死後経過時間、血液型がB型であること、右下半身の陰毛と光子方で押収された光子のものと判断される陰毛とは、同一人に由来するとしてもよいことなどからすると、右下半身は光子のものと推認される。座りだこや尻の痣があること及び本件下半身に、右足筋肉萎縮(この点、いさ子の左足をひきずるとの供述は、左右の点で勘違いと判断される。)が見られ、光子も片足をひきずるようにして歩行していた特徴があり、両者に矛盾はなく、こうした足を引きずるような歩行の特徴を示す人はそれほど多くはないことも加えて考慮すると、本件下半身が、光子のものである可能性は極めて高いと言える。

5 本件頭蓋骨等と光子との同一性

(一) 平沼鑑定

光子が昭和五三年四月の歯科治療の際に撮影されたパノラマレントゲンフィルムと本件頭蓋骨等を比較すると、歯冠形態(上顎、下顎とも)、歯根形態、その植立方向、位置、下顎角部の形態、歯石取り残しの位置が極めて良く一致している。これらは、特徴的な歯科治療の跡の一致ではないが、人の識別として十分に意味を持つものであり、両者は、同一人の物であると判定している平沼謙二による鑑定の信頼性は高い。

なお、弁護側は、一〇年余前の同五三年のレントゲンフィルムと頭蓋骨等を比較し、歯石の場所が一致していることが、同一人の判定にどこまで意味を持つか疑問を提起している。しかしながら、歯石については、同一人について、同じ場所に繰り返し付きやすいことが認められるのであるから、右疑問は、右鑑定による識別に対比する時、無視しうる程度のものである。

(二) スーパーインポーズ法

光子の生前の写真と、同一方向から、本件頭蓋骨等を写真撮影し、これらをそれぞれ重ねて、その骨相等が一致するかを比較するスーパーインポーズ法によれば、光子の三方向からの写真のいずれもが、本件頭蓋骨等と一致しており、両者は同一人であると判断されている。

(三) 血液型がいずれもB型と一致している。

(四) 右の各事情を考慮すれば、本件頭蓋骨等は光子のものであると判断される。

6 本件下半身と本件頭蓋骨等との同一人性

(一) 血液型等

本件下半身と、本件頭蓋骨等と一緒に発見され同一人に由来するものと推定できる毛髪とは、ABO式血液型と、HLA―DQA1型とが、同一であり、両者は、独立に遺伝するので、両者を併せ持つ日本人の出現頻度は、一〇〇〇人に5.7人である。

(二) 本件下半身が入れられていた二重の黒色ビニール袋と、本件頭蓋骨から約5.05メートルの距離で発見され、内部に頭髪及び歯牙一本が在中しているのが発見されたことから、本件頭蓋骨等を入れて投棄されたと推認することができる黒色ビニール袋とは、いずれも、その外寸において、ほぼ同一であり、その成分は、二種類のポリエチレンのブレンドによるものであるが、そのブレンドされた成分及びブレンドの割合等からして、同じ頃、同じ再生屋において生産されたものであると推認される。

(三) 性別、年齢、推定死亡日時等の点で、両者に矛盾はない。

(四) 以上の点から、本件下半身と本件頭蓋骨等とは、同一人の物であると、推認することができる。

四  結論

以上の各状況に加えて、ばらばらにされる死体の数は、そう沢山あるものではないという、社会的な意味における確率、蓋然性も加えて判断するならば、本件頭蓋骨等は光子のものと認定することができる。加えて、本件頭蓋骨等と本件下半身とは、同一人に由来するものであることが推認でき、かつ、本件下半身についても、前記4のとおり、光子のものである可能性が高いこと、更には後に述べるように光子方浴室で発見押収された肉片が本件下半身と同一人に由来すると判断されることをも考慮すると、本件頭蓋骨等及び本件下半身は、いずれも光子のものであると認定することができる。

そうであると、光子は何者かにより殺害され、その後死体が切断損壊され、遺棄されたものであることが認められる。

第二  被告人と犯人の同一性

一  動機の存在

1 被告人と光子との関係

被告人は、戸籍上は、光子の父乙川太郎(明治二九年一二月一五日生まれ、昭和五四年五月三〇日死亡、以下太郎という。)とその妻花との間の二男として出生届けが出され、その後、昭和一五年五月二三日に甲野冬子との間で養子縁組され、同人に養育されたものである。しかし、実際は、戸籍上の父太郎の妹乙川夏子と、養母甲野冬子の弟甲野三郎との間に、同一五年一月二二日に誕生したものである。

被告人は、名古屋市港区の東港中学校を卒業し、名古屋で工員などとして三回転職した後、和歌山県などでパチンコ店店員、屋台ラーメン屋など職を転々とし、同五六年ころから和歌山県白浜町でビジネスホテルの食堂を経営したが、採算が取れなかったことから、これを放置して、後記のとおり名古屋へ出てきて光子方に寄食するようになった。その間、結婚して一子を儲けたが、妻子を捨てて芸者と同棲して離婚し、更にこれをも捨て現在の妻で芸者をしていた秋江と懇ろになり結婚し、現在に至っている。

光子は、太郎の二女であるため、被告人との関係は、戸籍上は兄弟となっているが、実際は従兄弟ということになる。

2 被告人と光子との生活関係

(一) 被告人は、昭和六〇年ころまでは、乙川家との親族関係について、何も知らずにいた。その後、自分の戸籍謄本を見て、甲野家については養子であり、太郎が戸籍上の父であることを知り、養母の甲野冬子に若干の事情を聴き、電話番号を調べて電話したこともあったが、すでに太郎が死亡していることを知って、それ以上詮索することはなかった。

(二) 光子と被告人とは全く交流がなく過ごしていたが、昭和六一年三月ころ、乙川夏子と光子が和歌山県白浜町の被告人を訪ね、被告人は乙川夏子の子であること、名古屋市昭和区川名町○丁目××番地に土地建物(以下、川名の不動産という。)があり、被告人が光子との共有者として登記されていること、実質は相続権がないことなどを告げ、相続放棄の書類に印鑑を押してくれるように依頼した。しかしながら、被告人は承諾の返答をしなかった。被告人は、表見相続人であるから法律上相続権がないのに、その後、右相続放棄の依頼を拒否し、川名の不動産につき、権利主張するところとなった。

(三) 被告人は、やがて、川名の不動産についての権利を積極的に主張するようになり、光子やその従兄弟の乙川二郎らに手紙を書いたり、名古屋に出て来たりして、親子関係不存在訴訟には多額の金銭と長い期間がかかると脅すかたわら、川名の不動産に居住する乙川二郎一家を追い出そうとして交渉に当たるようになった。こうしたなかで、光子は、戸籍の上だけとはいえ、兄弟が出来たことに喜びを感じるようになった様子で、被告人を頼りにするようになり、何かと被告人に相談を持ちかけたり、被告人の妻秋江の洋服を縫って送ったりし、他方、秋江の方も、みかんを送るなどし、親戚付き合いをするようになった。

(四) その後、主に、被告人と乙川二郎らとの交渉を経て、昭和六一年六月ころ開催された親族会議で、乙川二郎の母乙川春江の土地所有持分を買い取り、立退料を支払って、乙川二郎一家を立ち退かせることで基本的に合意された。その結果、同六二年三月までに乙川二郎らは川名の不動産から立ち退いた。

立退料等一一五五万円は、川名の不動産のうちの東側の土地を一五五〇万円で売却して捻出した(川名の不動産のうちの売却されずに残った土地を以下、本件土地という。)。被告人は、右売却代金の内約一二〇〇万円を立退料等に費消したが、残りの三〇〇万円ないし三五〇万円を光子に渡さず、自己の用途に費消した。そのため、光子は、右売却に伴う譲渡所得税すら別途都合して支払うことを余儀なくされた。

被告人は、本件土地の利用につき、マンション建築を考慮したこともあったが、資金不足で無理ということになり、ついで、一階を店舗に改築する事を考慮し、見積りを出してもらったものの、やはり資金調達の面で不可能となり、結局、本件土地上の建物の二階を独立した家屋として改装し、一階を貸すことにした。このための修理費は約三〇〇万円であり、同六二年六月ころから、右改築にかかり、同年一一月ころに完成した。

同六三年の初めころには、被告人は、白浜のビジネスホテルでの食堂経営を辞め、名古屋に出てきて、本件建物二階で光子と同居するようになり、名古屋での仕事を捜すようになった。

(五) 光子及び被告人両名の同居生活は、外部から見ると平穏であったし、秋江との贈答品のやり取りは、被告人が光子と同居を開始してからも継続されていた。

昭和六三年一二月ころも、被告人と光子とは、一緒に、クリスマスにケーキを食べたり、新年に初詣に行く等、良好な関係が継続していたと思われる。

そして、光子は、被告人の借入の連帯保証や、本件土地の物上保証を承諾した。更に、自分自身の食費を削ってでも、被告人に対しては、ビールを飲ませ、食事の支度をしてやり、小遣い、旅費等を時々渡すなど、温かく接していたのである。

(六) しかし、被告人の光子に対する気持ちは、右の光子のそれとは必ずしも一致するものではなかった。被告人は、光子から小遣いを貰ったり、就職もしていないのに仕事にいくかのように装って本件建物で居住し、光子を騙し続け、更には光子の貯金等に手を出し無断で金員を引き出していただけで、特に光子のために尽くしたような事情は認められない。結局、被告人は、光子を金銭を引き出す先であるとしか考えていず、食い物にしていただけと判断される。

3 被告人の経済的状況

(一) 株取引

被告人は、遅くとも昭和五九年四月ころから三洋証券田辺支店と取引を開始し、その後日本証券田辺支店、株式会社連専とも取引し、同六二年六月一八日ころからは岡徳証券覚王山支店(後でアーク証券と社名変更)と取引をし、同社とは同年一二月ころまで取引していた。最初のころの株式売買の収支は、とんとんであったが、同六三年七月ころからの大阪商事での取引では、いわゆる仕手株も数多く含まれていて、同年一一月ころまでに六二万円余りの損失を出すなどしていた。

(二) 被告人のサラ金からの借入及び返済状況

被告人は、昭和六二年六月ころから、同六三年九月ころまで、一五回にわたりサラ金からの借入及び返済を繰り返し、同年一二月当時、サラ金への残債は、合計九五三万円余りとなり、毎月の返済額だけでも約二三万円余りあり、定職に就かず、定収のない被告人は、新たにサラ金から融資を受けることもできなくなっていた。右状況は、既に返済に窮し追い詰められたものであり、いわゆるサラ金地獄に陥っていたと評価しうる。

(三) 被告人による光子名義の郵便貯金の引き出し状況

昭和六三年一〇月になると、被告人は、もはやサラ金から借りることもできず、収入もないため、光子名義の郵便貯金を下ろすようになった。

結局、被告人は、光子に無断で同女名義の郵便貯金通帳及び定額郵便貯金証書、同女の印鑑を持ち出し、同年一〇月六日から同年一一月二五日の僅か二か月足らずの間に、五回にわたり、合計一八三万円を引き出し、サラ金の返済資金、自己の生活資金等に費消していた。

(四) 右事実の発覚

昭和六三年一二月八日ころ、光子は箪笥の引き出しに入れておいた同女名義の郵便貯金通帳等がなくなっていることに気付き、そのことを川名郵便局に相談に行った。右喪失の事実は、光子にとっては相当ショックであったらしく、同女には珍しく勤め先に遅刻してまで早急に郵便局へ相談に行っている。

その後、光子は、被告人がこれを利用したのではないかと考え、同月二四日ころ白浜から出てきた被告人に対して、郵便貯金通帳等について詰問したところ、被告人は、郵便貯金通帳等を無断で持ち出して同女の貯金を引き出したことを認め、「ちゃんと働いて返すから。」と言って謝った。

(五) 被告人の仕事の状況

被告人は、昭和六三年初めころ、白浜でのビジネスホテルの食堂経営に見切りをつけて、妻秋江を白浜に残して名古屋に出てきて、本件建物に居住し、就職先を探したものの、なかなか就職先が見つからなかった。その間、被告人が仕事に従事したのは、次のとおりの僅かの期間に過ぎない。

(1) 同六三年四月一五日から五月二八日まで名古屋市中区内の建材等訪問販売業者株式会社ワイエスホームで営業員として稼働、給料合計一〇万〇八〇〇円

(2) 六月一二日から七月二八日まで同区内の建物工事業者株式会社日環名古屋支店で営業員として稼働、給料合計一五万八〇〇〇円

(3) 一〇月上旬ころ、三日間くらい愛知県一宮市内の建物工事業社トーヨー住建グループで営業員として籍を置くが、収入なし

被告人は、名古屋に出てきてからは見るべき収入はなく、かといって、白浜に帰って仕事を捜すでもなく、毎日本件建物を拠点にして、パチンコや散歩などで時間を潰していることが多かった。結局、名古屋における被告人は、只々本件土地を取得ないし処分するために居座っているだけで、殆ど収入もなく、光子に寄食し、これを食い物にするだけであった。

(六) これに対して、被告人が支出する先は、妻秋江に対する、毎月五万円から三〇万円位の生活費の送金、借入金の返済及び時期によっては株式の取引などであった。

(七) 結論

(1) これらの、被告人に関する経済的行動(株取引の銘柄の選択、サラ金の借り替えの経緯など)や生活状況を見ても、被告人は、目先のことに捕らわれて、全体を見通すことの出来ない性格であり、真面目に働いて収入を得ようとせず、他人を当てにしたり、一攫千金を狙った行動が目立つものである。

特に、川名の不動産についての相続分の存在を知ると、地道に仕事をすることなく、右不動産の利用や処分を計画するようになったものと認められる。

(2) 被告人は、本件犯行の直前である昭和六三年一二月下旬ころには、サラ金の残債が合計九五三万円余りにのぼって毎月の返済額だけでも約二三万円余りとなり、光子に無断で同女名義の貯金通帳と印鑑を持ち出して利用するような事態となっていた。しかし、被告人は、無職で収入もなく、本件土地、建物以外に見るべき資産もないのであるから、新たにサラ金から融資を受けて借金を整理することができないのはもとより、それ以外の金融機関等からの融資の見通しもなく、結局、本件土地建物を売却処分する以外にはサラ金の返済をし、それを精算することができなかったのである。

そこで、被告人は、本件土地、建物の売却処分を希望したが、光子がその売却に強硬に反対していたことから、これを売却できない状態にあった。

4 光子行方不明前における被告人の本件土地、建物に関する動き

(一) 被告人は、川名の不動産について、その存在を知ると、遺産が転がり込んだとこれを喜び、自己の権利を明確に主張するようになり、乙川二郎らとの立ち退き及び一部売却問題が解決すると、その残りの本件土地について、積極的にその利用を考慮するに至った。

(二) 本件土地のマンションの建設計画や、店舗として賃貸する等の利用方法を考慮した時期もあったが、被告人の資金不足等の関係で実現するに至らず、結局、本件土地上の建物を一部改築して、二階を光子および被告人の居住部分として独立させ、一階を賃貸することとした。

そのための工事が昭和六二年六月ころから一一月ころまで実施された。そして、同六三年四月ころには、タカラ不動産の仲介で一階部分を一時賃貸し、また同年一〇月末ころからは、アパート組合の仲介で、一階を佐々木徹雄に賃貸した。それらの賃料は、被告人が取得していた。

(三) こうした、賃貸の動きとともに、被告人は、本件土地、建物売却のための動きを見せている。

(1) 昭和六二年夏頃には、株式会社アマノ商事代表取締役天野憲彦に、坪一五〇万円での売却の話をし、光子の説得を天野に依頼し、天野が二、三回光子に対し本件土地、建物売却と立ち退きを説得したが、言下に拒否された。その後、被告人は、権利証を持って行って天野に対し五〇〇万円貸してくれと言ったが、断られた。

(2) 同六三年二月か三月ころ、賃借人の仲介を依頼している千種区内の不動産業者小池商事の小池一郎に、本件土地、建物を坪一五〇ないし一六〇万円で売却してほしい旨依頼し、持分のみの売却可能性を尋ねたり、売却希望価格を坪一〇〇万円以上と下げて、再度売却斡旋方を依頼したが、光子がこれに強く反対したため、実現できなかった。

更に、小池商事の小池勝に対し、正栄工業が休業中における光子の勤務先を紹介してくれるように依頼した際、通勤の困難な遠いところを探してくれと言って、光子が売却を承諾せざるをえないようにしようと画策した。小池勝が作成した売渡委任状には光子の就職先のことが記載されており、正に右就職先の斡旋と本件土地、建物の売却とが深く関係していることを物語るものである。

5 光子行方不明前後及びその後の被告人の本件土地、建物売却の動き

(一) 被告人は、昭和六三年一二月二〇日ころ、JJハウスこと子安成幸に電話で、光子に内密で同女の持分も含め本件土地、建物の買い取りを依頼した。同月二五日か二六日子安成幸に電話で書類がそろったので、伺いたいと述べ、年明けに書類を持参すると述べた。

(二) これに対し、被告人は、子安に本件土地、建物の売却の話はしたかもしれないし、光子には連絡しないでくれと言ったが、光子も売却を承知しているとか、私が全て任されているとかは言っていない旨弁解する一方で、子安成幸から金を借りるつもりであったと述べたり、売却の話しではなかったと思うと答える等してこの点についての被告人の供述は一貫せず、到底信用しうるものではない。

(三) 被告人は、昭和六三年暮れころから平成元年にかけて、積極的に本件土地、建物の売却のための行動に出ている。

(1) 被告人は、光子の印鑑登録済の「乙川光子」と刻した印鑑を発見することができず、別の「乙川」と刻した丸印で、同女の印鑑登録の改印手続をなし、印鑑登録証明書を入手しようと考え、判示第三事実記載のように、昭和六四年一月七日午前、名古屋市昭和区役所に赴き、同所において、同女が被告人に印鑑登録申請権限を委任した旨の光子作成名義の代理権授与通知書一通を偽造した上、同区役所係員松本知之に対し、これを提出して行使するなどして、光子の印鑑登録の改印手続を行った。

(2) 被告人は、平成元年一月九日、前記光子の印鑑登録改印に関する同区役所からの照会書を受け取り、判示第四事実記載のように翌一〇日朝、同区役所で、同女が印鑑登録申請を行ったものである旨を証明する同女作成名義の回答書一通を偽造して、前記松本知之に対し、これを提出して行使し、同人から光子名義の新印についての印鑑登録手帳の交付を受け、同印鑑の登録証明書六通の交付を受けた。

(3) 被告人は、同日、前記印鑑登録証明書、本件土地、建物の登記簿謄本、登記済権利証等を携え、前記子安成幸の事務所に赴き、本件土地、建物の売却につき話し合った。そして、同人から、買取りは拒否されたものの、売却の仲介ならよいとのことで、被告人は、右子安成幸に売買の仲介斡旋及び賃借人佐々木徹雄に対する立退交渉方を依頼し、右佐々木徹雄との立退交渉を行うことの委任状を交付し、本件土地、建物についての専任媒介契約をも締結した。

(4) 被告人は、翌一一日、右佐々木徹雄との間で締結した賃貸借契約書を持って子安成幸の事務所に赴き、子安成幸は、同月一六日ころから佐々木徹雄と立退交渉をしたが、その後、本件殺害事件について捜査を開始した警察官から事情を聞かれるなどしたため、嫌気がさし、被告人との右契約は立ち消えになった。

(5) 被告人の子安成幸に借金の申し込みをした旨の供述は、支離滅裂で曖昧なものである上、被告人は不動産業者である右子安成幸のところに被告人及び光子の印鑑登録証明書、本件不動産の登記簿謄本、登記済権利証等を持参しており、しかも、本件土地、建物売却についての専任媒介契約を締結するとともに、前記佐々木徹雄との立退交渉を行うことの委任状を交付しているのであるから、この点に関する被告人の供述は到底信用できない。

6 光子についての事情

光子は、高校生までは、頭の良い子であったが、その後精神面で若干の変化があった模様であり周囲の者からややおかしい人と受け止められていた。被告人も光子のことを、「ああいう人だから」と当公判廷で述べている。それゆえ、光子は非社交的生活をしており、交際範囲は狭く、勤め先の正栄工業の同僚や叔母の乙川夏子など限られた人々としか交際がなかったし、もとより結婚歴はなく、異性との交際を窺わせるような事情もない。又、光子の同僚らが、被告人が本件土地、建物を自分のものとしようとしており、そのうちに追い出されるから注意するようにと助言をしたのに対して、全く耳を貸そうとせず、一旦信じたことは、頑として変えようとしない面を持っていた。被告人を信頼していて、右のような忠告に耳を傾けなかったものと思われる。しかし、被告人を信頼していた光子であったが、こと本件土地、建物の売却処分については、明確かつ強硬に反対をしていたことが認められ、前述の光子の性格からして、右反対の態度は微動だにしないものであった。

7 結論

弁護人は、光子が本件土地、建物の売却に反対であったとしても、本件土地、建物に、光子を説得して再度抵当権を設定することも可能であり、被告人が金員を得るには本件土地、建物を売却する以外の方法も考えられたのであるから、本件土地、建物の売却に反対している光子を殺害しなければならない事情はない旨主張している。

しかしながら、前記認定のとおり、被告人は、いわゆるサラ金地獄に陥り、光子に無断で同女名義の貯金通帳等から金員を引き出すに至っており、これとてもそれが光子に発覚した以後は取りえなくなったが、加えて、無職で定収がなく、本件土地、建物の共有持分等の外にみるべき資産はない状況であるから、金融機関はもとより、サラ金からの融資による借金の整理も実現可能性がなかったし、借金できたとしても最終的には本件土地、建物を売却しなければその借金の返済も不可能であることは明白であるから、結局、被告人としては、本件土地、建物を売却し、その代金を用いてサラ金への借金の清算をする以外に方法はなかったと断ぜざるをえない。

ところで、被告人は、光子の唯一の表見相続人として、光子死亡により、本件土地、建物の全部を相続する立場にあって、財産上の利益を得ることができ、又勝手に下ろした光子の預貯金を返す必要がなくなるのであった。そうすると、金銭に極端に窮していた被告人が、光子の預貯金と本件土地、建物を我が物とし且つ本件土地、建物を売却処分するため光子殺害を決意するに至ったことは十分考えられる。即ち、被告人には光子殺害の充分な動機があったものと認められる。

二  被告人が光子を殺害したことを窺わせる光子行方不明後の被告人の言動

1  光子の勤務先に対する虚偽内容の電話

(一) 被告人は、昭和六四年一月六日午前八時一九分過ぎから四一秒間ほど、本件建物から光子の勤務先である正栄工業へ電話を架け、応対したいさ子に対し、「(光子は)和歌山の親戚に病人が出たので、看病に行って暫く休みにしてもらえないか。」と述べ、光子が看病などできる人でないと考えたいさ子から、本人に代わってくれと言われたのに、「もう出たから代われない。」と答え、更に、その連絡先を教えるように言われると、嘘の電話番号を伝えた。

この被告人の電話内容に対して、いさ子は、光子の普段の行状(独り言が激しく、気がきくほうではないことなど)及び光子から聞いていた本件土地、建物を巡る被告人の行動に危惧の念を抱いていたことなどから、不審を抱き、同日午後五時すぎに、正栄工業から、教えてもらった連絡先に電話したものの、使用されていない等のために、これが嘘の電話番号であることが発覚した。

(二) いさ子は、光子の身の上を案じて、何とか被告人と連絡を取ろうとして光子及び被告人の居住する本件建物に電話を架けたものの、繋がらなかった。翌一月七日午前一〇時ころ、被告人から電話があり、いさ子は、被告人に対して、連絡先の電話番号が嘘であるから、真実の連絡先を教えるようにしつこく依頼したが、教えて貰えなかった。

(三) 同月一〇日午前一〇時ころ、被告人は、正栄工業へ電話を架け、いさ子に対し「病人が長引くので、光子の休みは長くなる。」旨を連絡した。これに対して、いさ子から、とにかく連絡先を教えるように執拗に聞かれたが、光子の連絡先については返答しようとしなかった。

なお、右電話は、本件建物から架けられたものではない。

(四) 被告人が供述するように、一月五日夜に光子が「一寸出掛けてきます。」と述べて出て行き、翌朝までに戻らなかったという状況であるならば、翌朝、光子が直接正栄工業に出社することも十分考えられるから、被告人が前記(一)のような電話をするはずがなく、光子の出勤の有無を尋ねたり、事情を説明する電話となると考えられる。しかるに、被告人の電話内容は、光子が、当日出社しないこと及びそれ以上に長時間戻らないことを当然の前提とするものと判断され、不可解である。

又、被告人が電話で話した内容は、全くの虚偽であるが、被告人がわざわざかかる虚偽の電話をしたのは、被害者の行方不明を心配したいさ子達が光子を探して騒いだり警察へ捜索願いを出したりしないようにするため機先を制したものと解されるが、これはいかように弁解しても、光子を殺害した被告人がその事実の発覚を防ぐため光子が生存しているように装ったものと解する外ないものである。なお、そのころ、被告人は、和歌山にいる妻甲野秋江から、光子がいないかといさ子から電話があったと聞き、光子はいるよと答えたことが認められるところ、これも又嘘であるが、被告人が、このように、名古屋のいさ子に和歌山にいると言い、和歌山の妻には名古屋にいると答え、光子の所在について嘘を使い分け、妻に対してまで光子の行方不明を隠しているのは、全く理解に苦しむもので、これら一連の嘘は、被告人が、光子殺害の隠蔽工作として、光子が生きているように装ったものとしか考えようがないのである。

2  夏子に対する虚偽内容の電話

同月一〇日午後八時ころから、乙川夏子は光子の身を案じて光子方に電話を架け、やっと三回目の電話に応答した被告人から、「よっちゃんは、和歌山の僕の知り合いに病人が出て、その手伝いに行ってもらった。よっちゃんの会社の社長が倒れて今は暇だから手伝いに行っている。」と聞いた。これは、いさ子に対する内容と同様、虚偽のものであった。これも、前記のいさ子に対する電話の嘘と同様の意味合いのもので、光子が生きているように装ったものと解せられる。

3  青木繁義への嘘

被告人は、光子と親しいいさ子や乙川夏子には右のような嘘を言いながら、不動産屋の青木繁義には、光子は男から電話があってぶらっといなくなったので失踪宣言か何かする、光子の男から、売るなら光子の持ち分について代理として話ししてよいとの電話があった等と、本件土地、建物を処分するのに都合のよいように、光子がいないことに不審を抱かれないよう誤魔化していたが、これは、光子の行方不明が問題にならないようにして、不動産を処分しようとしたものと考えられる。

4  被告人の不動産売却の動き

(一) 被告人は、光子が行方不明になった時期に、本件土地、建物売却に向けて、積極的行動に出ている。

前記一の動機の項で述べたとおり、被告人は、昭和六四年一月七日午前、名古屋市昭和区役所で光子の改印申請手続きをなし、同月一〇日には、光子名義の新しい印鑑登録手帳の交付を受け、印鑑証明書の交付も受け、その印鑑証明書や本件土地、建物の登記簿謄本、登記済権利証等を子安成幸の事務所に持参し、本件土地、建物売却につき専任媒介契約を締結するとともに、一階の貸借人に対する立退交渉を依頼した。これらの行為は、光子不在中に急いでしなければならないものではなく、光子が戻ってきてから、光子に実印の所在を聞き、承諾を得てから行えば足りるものである。

(二) 被告人は、平成二年六月二七日に、本件土地、建物の被告人の持分を有限会社大鵬観光に手取り額二〇〇〇万円で売却した。被告人は、右売却代金を、被告人のサラ金等に対する借財の返済に充て、その残金から、実子(和人)に一五〇万円贈与したり、白浜に一二〇〇坪の土地を購入しようとして、手付金を支払ったり(結局は、右土地を購入しなかった。)、秋江を旅行に誘ったりしている。それにもかかわらず、被告人が光子の預貯金を無断引き出しするなどして積み重ねてきた光子に対する借財分については、何ら弁済行為に及んでいないし、いつでも返済できるようにお金を残すなど返済の準備もしていない。

このことは、当時の被告人が、本件土地、建物の売却代金以外に、これといって纏まった金額の収入の当てもない状況であったことを考えると、光子に対する借金を返済する意思がなかったことを意味する。被告人は、なお返済意思を有していたと弁解するが、被告人の当時の経済状況からすると、返済できるはずもないから、右弁解は措信しえない。

(三) 更に、被告人は、右売却の際に、買い主に対して、「共有者の光子が行方不明であるので、光子の行方が判明した時は、被告人は、大鵬観光に光子所有物件を時価で優先的に売却することに協力し、また、光子死亡確認等がされて被告人が相続したときは、大鵬観光にこれを時価で優先的に売却する。」旨の念書を差し入れている。右念書は、光子が生存していた場合の、売却への被告人の協力と、死亡が確認され被告人が相続した場合の優先譲渡を規定しているが、光子が売却するように被告人が協力するといっても、何ら実効性のあるものでもないから、右念書は、被告人が相続した場合の優先譲渡にこそ意味があるといえる。こうした、書面を作成することは、被告人が、光子が既に死亡していることを前提として行動していたものであると理解される。

5  郵便貯金の払戻など

(一) 被告人は、光子が行方不明になった以後も、平成元年一月九日から二〇日の間に四回にわたり同人の預貯金等から合計六八万五二二四円を無断で引き出して、被告人自身のサラ金の返済等に使用した。これは、直前の前年一二月二四日ころに、それまでの無断引き出し行為について、光子に咎められ、今後は勝手にしないようにとの注意を受けたばかりでありながら、再度光子の預貯金から金員を引き出したものであり、そのころいかに被告人が金員に窮していてそれを必要としていたかを示すとともに、被告人が光子の存在を眼中に置いていなかったかを示すものである。

(二) 又、平成元年一月二一日に警察で事情聴取を受けた際に、被告人は、光子名義の名古屋相互銀行の総合口座の通帳(残高同年一月二〇日現在で一五万四三四四円のもの)と光子名義の定額郵便貯金証書(昭和六三年一二月二九日預入の三〇万円のもの)をその所持するボストンバックの中に所持していたことも認められるが、前記利用状況と併せて考慮すると、被告人が光子の預貯金を自分のもののように支配していたものと認められる。

(三) これらの行為も、被告人が、光子死亡を前提に行動していたと解することによって、より良く理解することができるものである。

6  貼り紙と未開封郵便物の投棄

被告人は、平成元年一月一一日に本件建物から白浜へ引き上げ、同月二一日までの間に再び名古屋に出てきた際、本件建物二階玄関ドアに「当分不在しますので、各新聞は一月で休みます」との内容の貼り紙を出している。もし、被告人が、光子がぶらっと出ていっただけと考えているなら、何時帰ってきてもおかしくないのであるから、かかる貼り紙をするはずがないと考えられる。又、同年六月三〇日に、被告人が本件建物内から出して捨てた四袋の塵の中には、光子宛ての各種の手紙が含まれており、その手紙の中には、納税通知書等の重要と思われるものが封も切られないまま塵として捨てられていた。被告人には、かかるものを捨てる権限も理由もないはずである。これらのことは、被告人が、光子はもはや本件建物に戻らないと考えていたことを示すものと考えられる。

7  死亡届けの相談

被告人は、光子殺害事件が新聞に報道されたころ、光子の死亡届けを提出できないかと電話で相談を区役所にし、死亡届けには死亡診断書か警察から貰う死体検案書が必要と聞いたが、その後更に電話し、早く死亡届けを出したいが、警察がなかなか書類を出さないと言ったことが認められる。このことは、被告人が、当時光子の死亡届けの提出を希望していたこと、つまり、もはや、光子が生還しないと思っていたことを意味すると判断される。

8 被告人は、光子が行方不明だと言いながら、自ら警察に光子の捜索願いを提出したり、積極的に光子の所在を探すといった行動に出ていない。このことは、被告人が、行方不明当時、光子と一緒に生活していた唯一の者であることに照らすと、不自然さが否めないものである。なお、被告人は、平成元年一月八日に、自転車で光子の行きそうな所を走ったと供述しているが、特に、当てもなく自転車で走ったところで、名古屋市内だけでも、相当に広く、実効性に乏しいものであり、右供述は到底信用できない。そもそも光子を探す気があるなら、まずもって勤め先のいさ子や叔母の乙川夏子、更には近所の人々に光子の行方不明を告げて協力を仰ぐとともに、警察へ捜索願いを出すはずであるのに、被告人はこのような行動を全く取っていない。被告人には、光子を探す気もなければ、その必要もなかったものと解するほかない。

9 田中いさ子、佐々木満里、小川照美、木地道夫、久保田正英、脇田たづ子の各供述及び乙川夏子の供述調書等によると、光子が所在不明になった一月六日夜以降、被告人は、本件建物に出入りしていたことは窺えるが、泊まることまではしていなかった可能性が高い。

10 結論

以上1ないし9の状況は、これを全体として合理的に解釈するなら、被告人が1ないし9の行動をした当時、光子死亡の事実を認識していたことを意味すると判断される。そのことは、とりもなおさず被告人が光子を殺害したことを意味する。

三  死体解体、遺棄と犯人像

1 後記のとおり、光子方浴室で発見押収された肉片は光子のものであり、光子の死体が本件建物浴室内で切断された際に発生したものであることが認められる。そうであれば、わざわざ本件建物の外で殺害したのち本件建物内へ運び込むことは第三者に目撃される危険があるので考え難いから、殺害行為自体も、本件建物内で行われたと解するのが自然である。また、本件においては、特に複数の犯人を窺わせる事情もなく、殺害行為及び死体切断行為は同一の犯人によるものと認められる。また、一般的に、死体を切断して遺棄し、その罪証隠滅工作を図るのは、特に異常性格に基づく様な特別の場合を除いては、犯人と被害者の間に何らかの交流関係があり、被害者の身元の発覚により犯人像が絞られてくるため、自己に嫌疑のかかることを怖れる犯人による犯行と考えられる。かかる観点からは、光子が行方不明になった当時一緒に居た被告人が光子殺害の最も嫌疑を受けやすい立場にあった。しかも、被告人は、既に述べたように、光子行方不明後、それを隠し生存を装うため虚偽の内容の電話を光子の勤め先などにしているのである。この死体切断と虚偽電話は、被告人が光子殺害の犯人であることを強く推認させるものである。

2 被告人は、自動車の運転免許証を所持しない上、これを運転する技術も持っていないから、死体を遺棄しようとすれば、そのままで運搬することは、事実上不可能である。しかし、被告人は、自転車に乗ることは出来るのであり、ある程度の重量のあるものでも、自転車の荷台に載る程度の大きさにすれば、運搬可能となる。

従って、被告人が犯人であるとすると、その死体を遺棄するためには、自転車で運びやすいように解体することが必要であったといえる。

被告人は、昭和六四年一月七日に、新しい自転車を購入するとともに、段ボールを貰い受けており、同日午後七時ころに、段ボールを自転車荷台に載せて、走行させようとしていた。

一月七日に新しい自転車を購入したことは、死体を運搬する目的を有していたことを推認させるものである。被告人はこれにつき、前の自転車が壊れていたためであり、塵を出そうと思った位で、特別に当日購入した理由はないと述べている。しかしながらそうまでして購入した(被告人は当時、金銭的にかなり困窮しており、サラ金返済資金等のために、光子の金員にまで手をつけているのであるから、自転車はそれ程高価な買い物ではないとしても、それなりの出資をするには、理由があって当然である。)自転車を、スーパーの自転車置き場に放置したままにしており、大切に扱い、日常生活において使用する意思を有していたとは到底認められず、被告人の弁解は信用できない。

3 結論

右1、2の各事情に殺害した死体がばらばらにされる例はそう多くはないことを合わせ考慮するなら、本件の場合、その犯人は被告人以外にはありえないと思われるところである。

四  まとめ

以上一ないし三の状況に鑑みると、動機、被告人の言動、死体切断という犯行態様の何れから考えても、光子殺害の犯人は被告人以外には考えられないばかりでなく、これに後に述べるように本件建物の浴室で発見された肉片が光子のものであることなど本件建物に見られる殺害を推認させる犯罪の痕跡をも合わせ考えると、被告人が光子を殺害したことは、推定の域を越えて、十分に証明されたとして確信をもって認定しうる程度に達していると言える。尚、本件全証拠関係を検討しても、被告人が光子殺害の犯人であることに疑念を抱かせるような情況は皆無であるから、右認定は動かしがたいものであると断定できる。

五  光子行方不明後の本件建物の状況と犯行の痕跡

1 本件建物の状況

本件死体は、第一で認定したようにいわゆるばらばらにされていたものであって、少なくとも首及び臍付近の腹部の二か所で切断されている。こうした切断行為を実施するには、ある程度の時間及び空間が必要と考えられる上、人目を忍んで実行するには、屋内でなすのが便利である。また、最後に被害者である光子が目撃されたのは、本件建物の近くであり、その後の光子は自宅内にいたと推定され、本件建物二階部分には、後記の犯行推定時刻ころには、光子及び被告人以外の者はいなかったのであるから、被告人が殺害行為及び死体切断行為に出たとすると、それは本件建物二階部分においてであると考えるのが自然である。そこで、光子行方不明後の本件建物(二階)などの状況を検討する。

(一) 浴室における光子の肉片の発見

(1) 本件建物の第二回目の検証の際(平成元年二月一六日、一七日実施)、捜査員により、浴室蛇口裏側から肉片ようのものが発見された。

右肉片ようのものは、大きさ約2.8センチメートル×1.0センチメートル×0.3センチメートルで、重さは約0.09グラムであり、鑑定の結果人間の骨格筋と脂肪組織と認められ、死体から分離後余り長時間経過していず、二、三週間から一、二か月放置されたものである。

なお、弁護人は、右鑑定の手法によっては、人の組織と猿類の一部の組織との区別が不可能であるとして、右鑑定を論難しているが、そもそも、名古屋市内に所在し、そこで猿をペットとして飼育していた等の事情も認められない本件建物の浴室から、猿類の一部の組織が発見される可能性は考えられない上、右肉片ようのものから抽出したDNAからは、HLA―DQA1の人の遺伝子型が検出されており、これを加えて考察すれば、右肉片ようのものは、人の骨格筋と脂肪組織であることは明白である(以下、右肉片ようのものを、本件肉片という。)。

(2) 本件肉片のHLA―DQA1の遺伝子型は、名古屋港から発見された下半身及び瀬戸山中から発見された頭蓋骨周辺で採取された毛髪(第一で光子のものと認定)のそれと同様、DQA1*0103/DQA1*0501型であり、右型の遺伝子を持つ日本人の出現頻度は2.6パーセントである。

また、本件肉片のABO式血液型はB型であり、PGM1型で(1―1+)型である。

これらの三種類の型は、それぞれ独立に遺伝するので、組み合わせた場合の出現頻度は、一〇〇〇人に0.9人であることが認められる。

(3) これに対して、名古屋港から発見された下半身は、腹部ほぼ中央部分で水平断されたもので、死後左側腹部から約半周を鋭利な刃物で切断し、背面から鋸で体幹を切断したものと推定される。鋸で死体切断をすれば、骨格筋や脂肪組織の小片が容易に生ずる。そして、ABO式血液型、PGM1型、HLA―DQA1の遺伝子型について、本件肉片と同一の型を示しており、死後推定経過時間についても両者は矛盾がなく、本件肉片は本件下半身と同一死体の一部である公算が極めて大きいのである。

(4) 浴室蛇口裏側から相当大きな人の筋肉と脂肪組織が発見されたことは、その場で人体が切断されたことを推測させるものである。

(5) なお、本件肉片が、第一回(平成元年一月二一日ないし二三日実施)の検証時に発見されず、第二階の検証時に発見されたことについて、弁護人は疑問を呈している。

しかしながら、そもそも、本件肉片の大きさは、前述のとおり、約2.8センチメートル×1.0センチメートル×0.3センチメートルで、重さは約0.09グラムであり、それなりに小さいものであること、その存在場所は、浴室壁面に顔をつけて見て暫く発見しうる場所であり、そもそもが発見しにくい状況であったと評価しうること、第一回の検証の際、右浴室に関して、一応の検証が実施されたことが認められるものの、その時点では、下半身は未発見で、特に死体が切断された可能性を意識した検証ではなかったことなどが認められる。そうであると、第一回の検証時にも、本件肉片は存在していたが、捜査官により見落とされたと理解するのが相当である。

また、前記大きさに比べて重さは極めて軽く、乾燥した状態であったと認められるところ、平成元年二月五日の海中から発見回収された下半身の一部が、何らかの作為により、一一日後の同月一六日に、風呂場から、そこまで乾燥して採取されることは、通常有り得ないし、本件肉片の捜査官による採取状況について、特に不審な点はない。

(6) 結局、浴室内で発見された本件肉片は、光子と同一の血液型を有しており、その出現頻度は一〇〇〇人に0.9人とかなり低いものであるので、本件肉片は光子のものと判断されるが、そうであると、それは、光子の死体が本件建物浴室内で、前記のように切断された際に発生したものであると認めることができる。

(二) 浴室のその他の状況

(1) 第一回の検証時に、浴室床面(三〇センチメートルの円形と二四センチメートルの楕円形)、床面排水口金属蓋部分(5.5センチメートルの円形)、アルミサッシ戸の下枠部(二センチメートル×六センチメートル)及び木枠部(一センチメートル×四センチメートル)、立ち上がり部(四センチメートル×一四センチメートル)の六箇所からルミノール化学発光法及びロイコマラカイトグリーン法による血痕検査で陽性反応が出た。

前記第二回の検証時に、浴室床面排水口金属蓋の裏側周囲、洗い場南側上部の縁(胡麻粒大)からルミノール化学発光法及びロイコマラカイトグリーン法による血痕反応があった。

右浴室のユニットバスについて、平成二年一〇月三日付け鑑定処分許可状に基づく鑑定によれば、本件風呂場のユニットバス及び付属排水管中、洗い場排水口の下に付けられた鋳物製のトラップ内(極めて弱く)、浴槽部分からのL字型管の内側ほぼ全域(極めて弱く)、付属する二本の排水管の下側に位置する管壁に堆積した汚れ(やや強く)などにルミノール化学発光法及びロイコマラカイトグリーン反応が陽性となったが、人血検査ができないので人血かどうかは不明である。

(2) なお、ルミノール化学発光法及びロイコマラカイトグリーン法は、講学上人の血液以外のものにも反応することが認められる。しかしながら、場所が浴室であることを考慮するなら、前記(1)の反応は、特段の事情の認められない本件では人血によるものである可能性が高い。

(3) 尚、浴室内で死体を切断したのであるなら、もっと血痕反応が多くの箇所で出てしかるべきではないかとの疑問もあろうが、死後の死体を切断する場合は、生体で血液が循環している時のように多量に出血するものではなく、だらだらと流れ出る程度で、それほどまでに多量の出血があるとは思われないし、ルミノール化学発光法及びロイコマラカイトグリーン法の検査は、血液が希釈され、その程度が約二万倍を越えると、反応が出ないことが認められるから、犯人が死体切断後、丁寧に浴室内を洗浄した結果、約二万倍以上に希釈されれば、浴室内での血痕反応が余り出なくても、おかしいとは言えない。特に、死体を切断してまで罪証隠滅を図ろうとする犯人であれば、切断場所の洗浄等による隠蔽工作も十分なしているであろうから、右浴室内の反応の程度であっても、その意味は大きいといわざるをえない。逆に、このように程度こそ弱いものの浴室の広範囲から反応が出ることを説明出来る事情は、死体の切断以外には見当たらない。

(4) ユニットバスの実況見分によると、グラスファイバー製で、大きさ(幅、奥行、高さ)は、バス全体が169.5センチメートル×80センチメートル×72センチメートル、洗い場が八〇センチメートル×六六センチメートル×六〇センチメートル、浴槽が上部で六三センチメートル×六五センチメートル×六〇センチメートル、下部で五七センチメートル×五八センチメートル×六〇センチメートルである。洗い場と浴槽の壁仕切り上部(床面からの高さ六二センチメートル、中央部幅八センチメートル、両端部九センチメートル)全体に肉眼で確認できる擦過痕跡及び損傷痕跡が多数あり、その中には前面から中央部にかけ右斜め上方に走る二〇数条の顕著な痕跡が見られる。バスを使用するに至ってから一年四か月位しか経っていないのに、大人二人の家族構成で、このような痕跡は不可解である。

(三) 浴室以外の状況

(1) 第一回検証における血液反応

ルミノール化学発光法及びロイコマラカイトグリーン法による血痕検査で次の箇所に陽性反応があった。

台所のテーブルの下一か所(二センチメートル×三センチメートル)、台所の洗濯機の右上部一か所(0.6センチメートル×2.5センチメートル)、光子使用の七畳間の夏掛布団一か所、枕カバー二か所、掛布団カバー一か所、肌色毛布一か所、被告人使用の六畳間のテレビの右上一か所、座蒲団一か所、緑色毛布二か所

(2) 第二回検証における血液反応

ア 本件建物二階の生活排水が流れる建物外部の排水溝の中に最大直径一〇センチメートルの楕円形のルミノール化学発光法及びロイコマラカイトグリーン法の血痕陽性反応があった。

イ 台所北側床上に胡麻粒大のルミノール化学発光法による陽性反応があった。

ウ 光子使用の七畳間の西側手提げ袋東側に1.5センチメートル円形のルミノール化学発光法による陽性反応があった。

2 犯行手段等について

(一)  本件は、被告人が完全に否認している上密室での殺人事案であるため、犯行の詳細な手段等の、犯人の供述に頼らざるを得ない部分については、推認するに止まるものとなるが、これは、本件の特質であって、これがために、被告人が犯人であるとの認定が妨げられるものではない。

(二) 犯行場所、手段等

本件建物二階七畳間(通常光子が使用しているもの)に置かれていた枕カバーの表部分に血痕と推定されるものの付着が二か所あり、夏用掛け布団の表部分に血痕と推定されるものの付着が一か所あり、肌色毛布の表部分と裏部分に人の唾液が混在する人血の付着がそれぞれ一か所あり、又、同一毛布の人血の中心から尿の中心まで約六五センチメートルの距離に、約四二センチメートル×四〇センチメートルの大きさの尿の付着が検出され、掛け布団の表部分にB型人血の付着が一か所ある。肌色毛布に付着した唾液が混在する人血は、ABO式でB型、PGM1型で(1―1+)であり、光子のそれと同一である。

名古屋港で発見された下半身の膀胱が空虚であったこと、一般的に、他殺体の膀胱が空虚であるのは、尿の失禁を伴う殺害方法によることが想定され、それは、絞頚あるいは扼頚による窒息死の時に良く見られるものであるとされている。従って、本件死体もまた、絞頚あるいは扼頚による窒息死である可能性が高いといえよう。そして、本件建物の浴室以外からは刃物による殺害を窺わせる状況が認められないこと、下半身死体は死後に切断されたものであること、光子使用と思われる寝具から窒息死を窺わせる失禁等の状況が認められること及び下半身死体の左右下肢に頚を絞められた際の身体の痙攣で壁や箪笥などに当たって出来てもおかしくない皮下出血があることなどをも考えると、光子は、本件建物二階七畳間で就寝中その場で、絞頚又は扼頚され窒息死したものと判断される。

(三) 犯行時間帯

(1) 光子は、昭和六四年一月五日午後三時ころに、自宅近くで目撃されたのが、被告人以外の第三者に目撃された最後であるが、当日正栄工業から帰宅したことは、同日いさ子が渡した税金の還付金を入れた封筒が、一月二一日の検証時に存在していたことからも裏付けられる。

又、翌一月六日午前八時一九分過ぎころには、被告人がいさ子と電話で話しており、それまでには、光子は、勤務のためには出社しえなくなっていたと考えられるので、光子を緊縛するなどの事情でもないかぎり(発見された下半身からは、かかる事情は推認されない。)、その時点までに、すでに殺害されていたと推認される。なお、被告人は、同日午前九時過ぎには、名古屋市中区栄の紀陽銀行名古屋支店を現金一〇万円入金のために訪れ、本件建物を離れていることも、前記時刻までには殺害行為を終了していたと推認させる事情である。

(2) 右時間帯は、本件建物の一階に居住する佐々木一家が、正月の帰省で留守にしていた時間帯である。被告人は、本件家屋の構造等から、二階の音が一階に良く伝わるものであることを承知していたところであり、二階で殺害や死体切断の行為に出た場合には、多少なりとも騒がしい物音が発生すると予想されるから、被告人が階下が留守の日時を狙って右犯行行為に出たことは想像に難くない。

そして、被告人自身、佐々木一家の正月の行動予定については、昭和六三年一二月二七日午後七時過ぎころ、一二月分の家賃を支払に来た佐々木満里から聞き知っていたところ、佐々木満里は、被告人に「正月は、四日から二、三日留守にし、六日か七日に帰ってくる。」と話し、四日午前一一時ころ出発し、六日午後四時ころ戻ったと述べている。そうであれば、被告人は、佐々木一家が五日夜不在になること、そして現実にも不在であったことを認識していたと考えられる。

(3) そして、一月四日午前一一時ころに出発し、同六日午後四時ころに帰宅した佐々木一家が、帰宅後に、特に二階についての不審な物音などの異変に気付いていないことも、犯行時間が佐々木一家の不在中であることを裏付けるものである。

(4) 以上の状況から、殺害及び死体解体は五日夜から六日午前八時一九分過ぎころまでの間に行なわれたものと判断される。

第三  死体損壊、遺棄について

一  死体の損壊について

1 前記認定のとおりの、浴室内及び外部排水溝の血痕反応の状況、浴室内で光子の肉片が発見されていること、下半身死体及び肉片の状況などからすると、本件下半身は、本件建物浴室内で、鋸又は鋭利な刃物を用いて切断されたと認められる。そうであると、頭部の切断も、同じころ同じ場所で同様の方法によってなされたと判断される。

2 弁護人は、右浴室は、狭いとし、そうした場所での損壊が可能であるかと疑問を呈している。

確かに、本件浴室は、外寸で一六五センチメートル×七三センチメートルであり、そのほぼ中央付近に高さ約七二センチメートル幅約八ないし九センチメートルの仕切りがあり、それが浴槽と洗い場との境をなしており、通常の浴室としては、狭い方であることが認められる。しかしながら、右程度の広さであっても、人が二人、その浴室内に入ることは可能であろうし、右浴槽と洗い場の仕切りを上手く利用することにより、被害者の身体を浴室内において鋸等を用いて切断することは、十分可能であると判断される。

なによりも、本件肉片が浴室蛇口裏付近で発見されたことが、同所での切断の事実を物語るものである。

二  下半身遺棄の場所

本件下半身発見場所は、前記の名古屋市港区の名古屋港BB棧橋先の海中であるが、右下半身に付着の微小物についての捜査結果は、名古屋港に浮いていたものとして矛盾がなく、又、名古屋港の潮位、潮流の動き等からして、名古屋港に接続する水中に投棄されたものが、漂流し、発見現場までたどりついた可能性もあるので、判示第二で認定のとおり名古屋港海中又はこれに接続する水中へ投棄したと認定することができる。なお、否認事件の性質上、これ以上の詳細な投棄場所については認定しえないが、そのことをもって、投棄の事実が認定できないものではない。

三  頭蓋骨等の投棄場所

前記第一で記載のとおり、頭蓋骨等の発見場所は、瀬戸市川平町一番地の国有林内であるが、同所付近において、頭蓋骨等が入れられていたと思われるビニール袋も発見されており、同所付近に投棄されたと認められる。

四  運搬手段について

1 被告人が撮影した写真フィルムには、名古屋市中区大須、瑞穂区の瑞穂運動場、港区南陽町五丁目一番地の二、港区木場町九番地の五、港区大江町六号地埠頭、港区加福町一丁目七番地などを撮影したものが含まれており、どの様なコースを通るかによって違うとしても、これらは本件建物から名古屋港へ行く途中の風景である。中学時代港区南木場町の市営住宅に転居し転校したので、被告人は、名古屋港やその界隈に土地勘を持っている。

本件建物から新堀川右岸道路を南下して港区東築地町二六番地名古屋市立東築地小学校東側東築地橋南詰までの距離は12.2キロメートル、環状線を南下した場合の距離は12.5キロメートルである。

被告人が一月七日に「輪YA」で購入したものに相当する婦人用自転車の荷台に、それぞれ下半身重量相当17.4キログラムと上半身重量相当一五キログラムの砂を入れた段ボール箱二個を重ねて積み5.8メートルのビニールロープで前後二回、横に一回巻いて縛り、その状態の自転車で、本件建物から新堀川右岸道路を走行することは可能であり、所要時間は六二分五〇秒であり、積み荷のロープの緩みも積み荷のずれもなかった。

被告人が名古屋港に下半身死体を捨てた方法は、運転が出来ないので自動車の使用は考えられないところから、そして働きがないため金員に窮して光子の預貯金に手を出していたのに以後の使用状況から見てそれほど必要があるとも思われない自転車を一月七日夕方購入し、午後七時ころその自転車に段ボール箱を積んでいるところを目撃されている状況から、被告人はその段ボール箱に入れた下半身死体を自転車に積んで名古屋港へ行き、そこで捨てた可能性が高いと推測される。なお、被告人は、市野に目撃された時積んでいた段ボール箱には、腐った食べさしその他の生塵を積んでいた、塵を捨てる場所が分からないので、近所でなく遠くへ捨てに行くため自転車を購入したと弁解するが、光子と二人で生活していたのに段ボールで捨てるほどの大量の生塵がでるとは考えられないこと及び一月二一日の検証の際食べさしの腐った好き焼きなどが残っていたこと、更には、被告人が六月三〇日に近所の塵捨て場に買い物袋四個に入れた郵便物などを捨てていること及び新品の自転車を乗り捨てて一月一一日に白浜へ帰っていることなどから考え、一月七日夕方には生塵を捨てたとの弁解は到底措信できない。

以上によれば、本件下半身は、一月七日に購入した自転車で同日午後七時ころ本件建物から搬出し、段ボール箱に入れて、荷台に載せ、名古屋港付近まで運搬して、水中に投棄した可能性が高いと推測される。

2 頭蓋骨等の運搬手段については、切断して頭蓋骨等のみの状態にしてしまった以上、手で携帯することが可能である。又、投棄場所付近は、JR定光寺駅から約五八二メートル余り、徒歩で約七分程度のところであるから、自動車の運転免許証を所持しない被告人は、公共交通機関を利用して定光寺駅まで行き、その後徒歩により、頭蓋骨等をボストンバックなどの運搬用具の中に入れて手に持ち運搬し、遺棄したものと判断される。

五  遺棄の日時については、被告人は、平成元年一月一一日に、本件建物を引き払い、白浜の妻秋江の元に移動していることが認められ、その後の一月二一日から開始された検証の際には、既に本件建物内に死体はなかったのであるから、前記運搬方法と併せて考慮すれば、下半身については、昭和六四年一月七日から右帰宅の一一日までの間(市野に目撃された一月七日の午後七時ころの可能性は高いが、そうと断定することもできない。)と判断され、頭蓋骨等についても一月六日から一一日までの間になされたと判断されるが、それ以上に特定することは不可能である。

第四  判示第三及び第四の事実について

一  弁護人は、被告人が外形的に判示第三及び第四の各事実を行ったことを争うものではないが、光子の改印手続きに伴う代理権授与通知書及び回答書の作成行使は、光子による明示の事前の承諾はないものの、信頼関係のある親族間における行為であり、光子の黙示の承諾ないし、事後的に承諾があり得る場合であったとして、無罪を主張している。

二  しかしながら、本件文書偽造やその行使は、本件土地建物を処分するためのものと認められるところ、処分に反対しており、しかも実印が存在していて改印の必要のない光子が事前に承諾するはずもなく、事後においても、被告人に殺害された光子が、殺害された後に、被告人の行った判示の文書偽造やその行使に同意するはずもなく、被告人も、自ら殺害した光子の同意を期待していたはずもないし、光子の事前の黙示の同意を推測させる事情も窺われないから、いずれにせよ弁護人の主張は理由がない。

第五  DNA鑑定の証拠能力及び証明力について

一  DNA鑑定の意味

1 DNA鑑定とは、細胞核内の染色体上にある遺伝子の本体が、四つの塩基の配列による二重のらせん構造をなしているが、その配列を利用して個人を識別しようとするものである。その歴史は、昭和六〇年に開発された方法であって古くはないが、学問的には日進月歩で進んでいる部門である。その手法は様々であるが、一般的、抽象的レベルでの科学的妥当性は、学問的に確立されていると認められる。

2 本件各DNA鑑定において採用されている方法は、PCR(増幅)法の内の一つで、資料からDNAを抽出した上、DNAの特定領域(本件ではHLA―DQA1型についてであり、DNAの塩基配列の違いから八つの対立遺伝子が存在し、その遺伝子型は三六種類の表現型があるが、RFLPs法を用いたため、検出できる遺伝子型は二七である。)を増幅したのち、制限酵素を用いて切断し、その塩基配列の切断パターンを認識し、型判定するものである。

二  弁護人は、DNA鑑定一般及び本件DNA鑑定のいずれに対しても、各種の疑問を提起して、本件各DNA鑑定書の証拠能力、証明力を争うので、以下において検討する。

1 DNA鑑定について、弁護側は、その科学的専門性ゆえに被告人の防御権を著しく損なうもので、現段階で裁判の資料として採用するのは時期尚早である旨主張するが、その歴史こそ古くはないが、科学的根拠、手法は既に確立されており、必要に応じて、それなりの設備と技術を持った者により、再鑑定、追試をなすことが可能な状況にある。従って、本件DNA鑑定が、他の科学的鑑定に比べて、特に被告人の防御権を侵害するものとは、到底言えない。

2 本件DNA鑑定の手法についての弁護人の疑問は、次の各点で提起されている。

(一) 分析過程における、サブバンドの出現について

確かに、品質管理、分析過程での技術的限界から、サブバンドが発生している。しかし、この点については、サブバンドは、主バンドに比べて圧倒的に少なく、主バンドの判定に支障はないと判断される。

(二) バンドパターンの判別における、主観的判断への依存性について

本件DNA鑑定の手法は、HLA―DQA1型を、パターンの分類により判別するものであり、各制限酵素による切断パターンの判別は、相互に補強しあっている関係にある。従って、厳密な断片長の判定を必要とするような手法でない本件DNA鑑定では、肉眼での判定で十分信頼性を有すると評価しうる。

(三) 本件DNA鑑定の出現頻度についての調査サンプル数が少なく、根拠が薄いとの指摘について

本件DNA鑑定における、調査集団のサンプル二九〇人(五八〇遺伝子)の数は、国際法医血液遺伝学会の勧告に沿うものであり、統計学的手法からも、実際の日本人出現頻度と大きな差がないことを確認している上、その後の調査結果もほぼ一致していることも認められるから、右調査結果が有用であることが認められる。

三  プライバシー保護及び倫理面における配慮

DNA鑑定は、人の遺伝子を解明するものであり、人間の尊厳に近づくところがあるから、無制限にこれを認めることができないものであることは当然であるが、他方、真実の解明のための要請も強い。そこで、その活用につき、慎重な検討が求められるところであり、専門家による各種の検討、宣言の採択等がおこなわれ、各種配慮の重要性も強く認識されている。

ところで、従前のABO式血液型が、遺伝子の違いをその産物から見ているのに対し、本件DNA鑑定の内容は、白血球の血液型とも言うべきものを、遺伝子レベルで見ているにすぎない。そして、本件DNA鑑定で判定している部位は、遺伝病との関わりもABO式血液型と比べて小さいと考えられており、従前のABO式血液型判定が有していた倫理面での問題点と比べても、特別な問題を生じさせるものではない。

従って、本件DNA鑑定は、犯罪捜査の目的に限定して、適正且つ慎重に使用するなら、人権及びプライバシーを侵害するおそれはないといえる。

そして、本件は、正に、犯罪捜査目的で実施されていると認められる場合であり、且つ、被告人の遺伝子型の判別ではなく、殺人の被害者の遺伝子型が問題とされているのであるから、被告人のプライバシーに対する配慮の問題は生ぜず、被害者のプライバシーよりも、真犯人の発見を優先させることができる場合と思慮されるのであるから、本件DNA鑑定につき、倫理面での支障はない。

四  本件DNA鑑定に従事した勝又義直は、昭和四四年名古屋大学医学部を卒業後、同五三年から法医学を専門とし、同六一年からは同大学教授として、長年にわたり、研究及び教育に従事してきた者であり、DNA鑑定についても研究業績を有し、専門的知識と技術を持っている。同人は、本件下半身の一部(平成元年二月六日付けで右勝又に対し鑑定嘱託したものの一部で冷凍保存されていたもの)、本件肉片(平成元年二月一七日付けで技術吏員山本敏光が鑑定嘱託された残りで冷凍保存されたもの。)、血痕(平成元年一月二五日付けで愛知県警察本部科学捜査研究所に鑑定嘱託された鑑定資料の毛布に付着していたもので、右鑑定の残りのもの)及び毛髪(本件頭蓋骨等の周辺で採取したもの)について、HLA―DQA1型遺伝子についての鑑定を実施した(その結果が甲四六号証、三三六号証及び三三八号証の各鑑定書)。その手法は、右各資料からDNAを抽出し、試薬を加えてPCR法によりHLA―DQA1遺伝子の一部位を特異的に増幅し、このDNAをポリアクリルアミドゲルにて電気泳動し、染色の上、目的とするDNA部分を切り取り、精製したのち、RFLPs法にのっとり、これを五種類の制限酵素で切断し、電気泳動し、染色した後に写真撮影してその切断パターンから型判定するものである。右DNA鑑定の手法は、勝又義直が、学問的に確立していると判断して選択したものである。試薬についても別の実験でその性能を確認してから使用し、少なくとも二回以上繰り返して判定して、再現性を確認するなど、慎重に実施されている。更に、右勝又らは、DNA鑑定の他の方法でも、一部を除き、その結果を確認している。そのほか、右鑑定の過程で、その信用性を疑わしめるような事情は窺えないこと等の事情をも考慮すると、本件DNA鑑定の証拠能力及び証明力を認めるのが相当である。

第六  違法収集証拠の主張について

一  弁護人は、平成元年一月二二日に実施された、任意提出(甲一四二)、領置手続き(甲一四三)及び押収手続き(甲一四五)は、いずれも、被告人に対する違法な身柄拘束状態のもとで、被告人の自由意思を抑圧し、警察官の欺罔に基づきなされたもので、その手続き自体違法である。更に、被告人は、同日午前一一時ころから、翌二二日午前二時ころまで、約一五時間に及ぶ取調べを受け、その後に赴いたサウナの出入口には、警察官の見張りがついており、二二日午前九時三〇分ころまで、事実上の軟禁状態におかれており、もはや任意捜査の限界を超えた違法な捜査であるから、これに伴い提出、押収された証拠(甲一四六、三四二ないし三六九)については、違法収集証拠として、その証拠能力を否定すべきであると主張している。

二  証拠によると、平成元年一月一八日、いさ子から光子が行方不明であるとして昭和警察署に捜索願いが出されたことから捜査が開始され、行方不明当時の同居者でありいさ子に虚偽の電話をするなど不審な動きをしている被告人を同月二一日午前一〇時ころ参考人として呼び出し、翌二二日午前二時ころまで昭和警察署で事情を聴取し、その間において、被告人が持参した鞄の中身の開示を求めて拒否されたので、捜査差押許可状を取って開示を求め、午前一時を過ぎてから印鑑三個と住民票六枚の任意提出を受けたが、その余を拒否されたので、午前一時二〇分ころから右令状を執行し、鍵、預金通帳など五〇点を差し押えた。被告人が不快を訴えるので、応接間のソファに休ませたのち、救急病院へ連れていったが、異常がないということで午前三時三〇分ころ病院を出て被告人が泊まるという今池のサウナへ送ったことが認められる。

本件事案が殺人事件という重大事案であること、被告人は被害者行方不明当時の同居者としてその当時の事情を最も良く知っているはずの人間であること、被害者行方不明後被告人に不審な動きがあったこと、それにもかかわらず被告人は自己に対する疑惑を解消するに足る弁解をしていないこと、そうとすると任意提出や押収までの被告人からの事情聴取に一四ないし一五時間かかったのはやむを得ない点があること、その間に行われたことは、供述調書を取ったわけではなく、結局のところ証拠物の押収手続きがなされただけであること、右時間の間被告人は事情聴取に応じていたのであって、それを拒否して帰ろうとしたわけではないこと等に鑑みると、前記任意提出及び差し押さえに基づく証拠物の押収手続きには証拠物の証拠能力を否定すべき違法はないと判断される。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法一九九条に、判示第二の所為は包括して同法一九〇条に、判示第三及び第四の各所為中有印私文書偽造の点は各同法一五九条一項前段に、同行使の点は各同法一六一条一項、一五九条一項前段に該当するところ、判示第三及び第四の各有印私文書偽造と各同行使との間には、いずれも手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により、一罪として犯情の重い各偽造有印私文書行使の罪の刑で処断することとし、所定刑中判示第一の罪については無期懲役刑を選択し、以上は、同法四五条前段の併合罪であるが、判示第一の罪につき無期懲役刑を選択したので、同法四六条二項本文により、他の刑を科さないで、被告人を無期懲役に処することとし、同法二一条を適用して未決勾留日数中六〇〇日を右刑に算入し、押収してある代理権授与通知書一枚(平成四年押第一七号の六)の偽造部分は判示第三の、同照会書回答書受領書一枚(同号の四)中の回答書の偽造部分は判示第四の各有印私文書行使の犯罪行為を組成した物で、何人の所有をも許さないものであるから、同法一九条一項一号、二項本文を適用してこれらを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を提出して被告人に負担させないこととする。

(量刑事情)

本件では、殺害行為により尊い人命が失われており結果が重大である。そればかりでなく、罪証隠滅を図るために死体をバラバラに切断して各所に投棄しており、いまだに発見されない胸部が存在するなど、死者に対する冒涜が著しく、極めて人間性に欠ける犯罪であることがまずもって強く指摘されなければならない。しかも、完全犯罪を狙った計画的な犯行で、極めて残忍、冷酷であり、犯情は悪質であると言わざるをえない。

本件の動機は、そもそもが表見相続人にすぎない被告人には法律上相続権がない財産であるにもかかわらず登記名義があることを奇貨として、自己の権利を主張し、揚げ句の果てにこれを処分して金銭を得ようとしたが、真正相続人である被害者がこれに強く反対したことから殺害したものであって、いかにサラ金苦に悩まされていたとはいえ、全く同情の余地がない。しかも、被告人がサラ金に悩むようになったのは他ならぬ被告人自らの意思とその怠惰さによるものである。これに対し、被害者の光子には、何ら落ち度がなく、これまで慎ましい生活を過ごしていたところ、義理の兄弟とはいえ、被告人の出現を喜び、それなりに被告人に信頼を寄せ、寄宿させた上乏しい収入の中から小遣いや旅費を与えていたのにかかわらず、その信頼を裏切られ、被告人に殺害されたものであり、その無念は計り知れないものがある。被告人は、こうした好意ある接遇をしてくれた被害者を財産欲しさに殺害したものであって、その人間性に欠けた人格は冷酷というほかない。

又、被告人のこれまでの生活歴は、職を転々とする間に、株取引に手を出したり、サラ金からの借財を重ねるなど、無計画で節度に欠けるものであり、サラ金苦に陥った原因は、被告人のこうした性格によるところが大きく、その行状は芳しくない。更に、被告人は、被害者の生前よりその預貯金を勝手に費消し、そのことに全く罪障感を持っていないのであって、極めて規範意識の低い人間と言わざるを得ない。又、捜査段階から現在に到るまで本件犯行を否認しており、反省悔悟の情は全く見られない。

以上、いずれの点をもってしても、被告人の刑事責任は極めて重いものである。

しかしながら、被告人にはこれまで前科はなく、怠惰で無責任な生活をしてきたとはいえ、大きな逸脱行為に出ることなく生活してきている。余り多くはないが、これら被告人のために酌むべき事情をも考慮して、主文のとおり被告人を無期懲役に処する。

(裁判長裁判官笹本忠男 裁判官後藤眞理子 裁判官愛染禎)

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